歌舞伎症の診断がおりてしばらくは、いろんな感情が交差していました。
ほっとしたり、心細くなったり・・「障がい者のお母さんという見られ方をするのか・・?」なんてことをふと思ってしまったり・・
嫌という気持ちは全くなく、娘に対する愛情に変化があったわけじゃなく、ただついたばかりの新しい役職に慣れないみたいな・・そんな気分でした。
「私が今まで育ててきたのは誰だったんだろう・・。」なんて事を思ってしまったり。
障がいって、何かが欠けているとか、足りないとかそういう印象を持っていて。
知的障害、発達遅延、低身長・・いろいろ言われましたが、まだ2歳だった事もあり、目の前の娘は私にとっては過不足ない、完璧なただの赤ちゃんでした。
病院の先生も、すごく言葉を選んでくださり「遺伝子に変異がありました。」
「障がいと言うよりは、個性や体質です。」という言い方をしてくれました。
「個性も体質も私だってあるのに、私と娘の違いは何なんだ?」と思うと
「障がい」という言葉にも、「体質」と言う言葉にも違和感がありました。
ある時、ある文章を見て、腑に落ちました。
「社会生活を営む上で、
本人と周囲が不便を感じたら「障がい」 感じなかったら「個性」」
なるほど・・
不便だから特別な幼稚園や学校に行くし、不便だから環境を整えるんだ。
不便だから理解してもらって、お互いの不便さに対応していけばいいんだ。
ただそれだけの事なんだ。
この後から、気持ちがふっと楽になりました。
私たち家族の中に彼女がいる時、私たちは彼女に対して不便を感じません。
ただ、ただ、かわいいだけの存在です。
彼女も恐らく不便さを感じてない(今は、親ががんばっているので)。
不便さを一緒に解決していく事ならできるかもしれない。
=私達でもなんとかこの子を育てられるかもしれない。
やれることがわかったら、漠然とした不安が落ち着いたのかもしれません。
目の前のこの子は、「私が生んで今日まで育てた、紛れもない宝物」だ。
やっと意識が戻ってきた気がしました。
とにかく私にとってはとてもありがたい気づきでした。